カンカンカン、と音を鳴らし、形作られていく金属の破片。大仙市ののどかな農村風景の中にたたずむ工房から聞こえてくるのは、金工家・坂本喜子(さかもとよしこ)さんが使うかなづちの音です。きゃしゃな体で大きな道具を巧みに操るその姿は、まさに職人。金属を使ったものづくりへの想いと、「金工家」と名乗るようになるまでの歩みをうかがいました。
金属加工の現場、アトリエへ
ー坂本さん、まずはじめに「金工」とは何か、詳しく教えてください。
坂本 金工は、金属を加工して工芸品をつくることです。このアトリエで行うのは、金属をかなづちで打ちながら形を変える鍛金(たんきん)や、金属を彫って形を作る彫金(ちょうきん)、金属を溶かしてくっつける溶接など。鍛金は、こんな感じで…。
ー金属のいい音!すごく力が必要そうですね。
坂本 実は、そうでもないんです。金属って硬いイメージがありますけど、私が取り扱っている金、銀、銅、真鍮(しんちゅう)なんかは、熱を加えると少しの力でも形が変えられます。加工をして硬くなったら、また熱を加えて柔らかくして。その繰り返しで、形をつくっていきます。
ーこちらには、金属を加工する道具が、たくさん。
坂本 ええ。つくるものによって、当て金やかなづちの種類を変えていきます。
ー道具を見ているだけでも楽しいアトリエですね。
坂本 ものづくりも、楽しいと思えることが大事だなって最近改めて思ってます。ちなみに、ここは夫の実家の作業場だったところなんですよ。金属を加工するには道具だけでなくいろんな設備も必要なので、大工の義父と夫が作業場として使っていたところを一部アトリエとして使っています。
「金工家」と名乗るまで
ーそもそも、金工に興味を持ったのはなぜ?
坂本 母が陶芸教室の先生をやっていて、幼いころからものづくりの世界が近かったんです。母の実家が瀬戸物屋だったり、益子焼を見に連れていってもらったり。
ー最初は陶芸がきっかけだったんですね。
坂本 そうです。それで、私も陶芸を学ぼうと秋田公立美術短期大学(現・秋田公立美術大学)に進学したのはいいんですが、実際やってみたら粘土を触る作業があんまり性に合わなくて(笑)。迷っていた時に、当時の鋳金コースの先生から「鋳金はいろんな素材を触れるから、ほかのものづくりにも通じる学びがある」という言葉をもらい、金工の道へ進みました。
ーそんな紆余曲折が!その後は2人の師匠に師事されたんですよね。
坂本 卒業後は、埼玉県の金工作家・萩野紀子(はぎののりこ)さんの下で鍛金や彫金を学び、帰郷後は、秋田発祥の伝統工芸・杢目銅(もくめがね)の技法で作品づくりをされている千貝弘(ちがいひろし)さんの下で学びました。
ー帰郷後、千貝さんに師事したきっかけは?
坂本 秋田市の実家に戻ってから、母校である美術短期大学の図書館で働きながら金工を続けていたんですね。高校の時に使っていた実家にある勉強机で、アクセサリーなど小さなものをつくってました。でも、本格的なものをつくるには設備が必要だなあと感じていて。そんな時に、美術短期大学の先生から千貝さんを紹介してもらって、工房を使わせてもらえることになったんです。あの時千貝さんと出会っていなければ、今こうして金工家をやっていないかもしれない、と思います。私の恩人です!
ーその後は、ご結婚を機に大仙市へ。「金工家」としてアトリエを構えたんですね。
坂本 そう名乗るようになったのは、2年前に開催した個展からです。主催者の方に肩書きとしてつけてもらったのがきっかけなんですよ。「金工作家」は聞いたことがあったんですが、「金工家」ってあまり聞いたことがないし、いいなと思って、そこから使うようになりました。さらに昨年、ちょうど上の子どもが小学校に入学して子育てが少し落ち着いて、年齢も39歳になったタイミングで、「40代は金工を本気で頑張りたい」と家族に宣言しました。
ー本気宣言を!宣言してみて、どうでしたか。
坂本 そうれはもう、ガラッと世界が変わりました。意識が変わると、こんなにも姿勢が変わるんだなと。金工家としてやっていく覚悟が決まりましたね。
カレースプーンとマリッジリング
ー坂本さんのものづくりは、衣食住にまつわる制作がテーマとお聞きしました。
坂本 生活に根差したもの、生活の中で「欲しい」と思えるものをつくりたいと思っています。目指しているのは「使って楽しむものづくり」。私の作品を小学2年生と年長の子どもたちも、使ってくれているんですよ。
ー子どもたちも!どんな時に使ってますか?
坂本 たとえば、この「いもさし」。その名の通り、ジャガイモをゆでた時に火が通っているか確かめる道具として制作しました。そこから派生して制作した楊枝は、果物を食べる時にも使えるし、年長の娘はこの間グミを刺して食べていました(笑)。
ー娘さんの使い方、おもしろい!息子さんは?
坂本 息子が通う小学校には、月に1回「カレーの日」というのがあって。給食で使うカレースプーンを持参することになっていて、「お母さんのスプーン持っていく」と言うので持たせてます。どうやら周りのお友達に「これお母さんがつくった」と話しているらしくて。自慢したい気持ちがあるのかもしれません。
ーこれまでの制作で思い出に残っているのは?
坂本 一生使い続ける「結婚指輪」はやっぱり特別ですね。指輪は完全オーダーメイドと決めているため、対面での打ち合わせを必須にしているんですが、遠方の友人が「ずっと作品を見ていて、結婚したら指輪を作ってほしいと思っていた」とわざわざ来秋してくれたり、「地元の作家さんにお願いしたくて」と依頼されたり。みなさんの幸せのお手伝いができることは大きな喜びです。
暮らしに根差した日用品とアートピース
ー最後に、これからのことについて聞かせてください。
坂本 これまで私は、「暮らしに根差したものづくり」を軸にしてきたんですね。用途のあるもの、アクセサリーや日用雑貨などがそうです。それはこれからも変わらないんですが、やっと最近になって、アートピース(芸術作品)も制作してみたいという気持ちが出てきています。
ーそれはぜひ見てみたいです!
坂本 実は、せっかく千貝さんから教わった杢目銅の技法を、どう自分の作品に活かそうかと試行錯誤してきた経緯があって。杢目銅は、銀、黒鋼、銀、銅…と異なる金属を重ねて熱を加え、一枚の板にしたものを削り出すもの。手間がかかるためどうしても高価になりますし、定期的に手入れも必要なんです。その手間暇こそが大切だとも思うんですが、暮らしの中で使うには、難しい部分もありますよね。だったら、アート作品として杢目銅をみんなにお届けできないかと。まだ構想段階ですが、今後も考えていきます!
金工家としての覚悟や金属を打つ姿からは「力強さ」を、話す姿やふと見せる笑顔からは「柔らかさ」を感じさせてくれた坂本さん。坂本さんのものづくりを体感してみたい!と思われた方は、こちらから取扱店をチェック。マリッジリングが、スプーンが、アクセサリーが、暮らしに幸せを届けてくれるでしょう。そして近い将来、アートピースという形でも、暮らしの中に坂本さんが形づくる金属が溶け込む日が来るかも。楽しみですね!
DATA
【金工家 坂本喜子さん プロフィール】
1980年、秋田市生まれ。大仙市在住。小学生と保育園児の2児の母。
2000年に秋田公立美術短期大学(現・秋田公立美術大学)工芸美術学科鋳金コースを卒業。埼玉県で萩野紀子氏に師事、鍛金・彫金を学ぶ。2年後に帰郷し、図書館で働きながら千貝弘氏に師事。伝統的な金工技法である杢目銅を学ぶ。結婚を機に大仙市に移住してからは、自宅兼アトリエで制作を続ける。
入賞歴
2006年 伊丹国際クラフト展 入選
2006年 高岡クラフト展 入選
2007年 秋田県展 特賞
2007年 日本クラフト展 入賞
工房所在地/秋田県大仙市大曲西根字元木444-5
tel&fax / 0187-68-3144
email / kinkou.sakamoto(a)tbr.t-com.ne.jp
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