「そら子」のネーミングは、空が好きで好きでたまらないから。土の上を走ることに明け暮れていた日々から、世界を夢見て英語を学び、飛行機で大空を駆け巡るように。やがて空から地上に戻り、お母さんになった「そら子ママ」こと今野悦子さんが、秋田で英語サークルを立ち上げて5年。そこには他の誰にも作り出せない、青空のように晴れやかでおおらかな、明るいパワーがみなぎっています。
世界って、本当に広い。
だから自分の世界観を広げてほしい
ーー「そら子ママ」こと今野悦子さんの英語サークルは、いつも元気いっぱい。子どもたちは英語のリズムに合わせて体を動かして、歌って、工作して、読み聞かせに集中しているうちに、絵本とアクティビティーの時間はあっという間に過ぎていきます。サークルはいつから、どのように企画しているのでしょうか。
今野 「そら子ママ英語サークル」を2012年に立ち上げて、これまで秋田市のなかいち、生涯学習センター、秋田県児童会館(みらいあ)、東部市民サービスセンター(いーぱる)などを会場にいろいろなクラスを企画しました。赤ちゃんの「バドクラス」、小学生向けの「モンキークラス」、未就学児の「パンダクラス」や「うさぎクラス」「ひよこクラス」、お母さんのための英会話講座「マミングリッシュ」や「英語絵本読み聞かせ練習会」など。進行中のものもあれば、お休みしているクラスもあります。続けていくほどに仲間も増えました。本当にこだわって企画しているので、なかなか広げられないのが悩みどころです。
ーー今野さんのレッスンは、習い事としての英語ではなく、遊んでリズムに乗っているうちに英語が体からあふれ出てくるように感じます。英語との出会いからお話を聞かせてください。
今野 外国への夢を抱き始めたのは、生まれ育った会津若松にいた高校2年の時でした。市役所に勤めていた母が国際交流課の係長になったことで、外国人と触れ合う機会が急に増えたんです。英語はまったく話せなかったけれど、いつか世界中の人と話したい、世界中の人とコミュニケーションをとりたいと思うようになりました。
当時は陸上競技に明け暮れていて、インターハイと国体では短距離で入賞。その後は実業団に入って、1年の半分は合宿というアスリート生活を送りました。陸上競技しか知らない私でしたが、次第に「このままでいいのかな」と疑問を持つようになって。なかなか記録が出ないという理由もあったけれど、「陸上は本当に自分のやりたいことなのだろうか」と悩みました。それと同時に海外への思いが強くなって、実業団を辞めて留学することを決意。「逃げ出すのか?」「卑怯だ」と言われてつらかったけれど、心はもう海外を向いていました。
ーー夢を抱いて向かった海外で、どんな生活を送ったのでしょうか。
今野 両親が留学に反対だったので、すぐ海外に出たわけではなく、まずはアルバイトを掛け持ちして留学資金を貯めました。プライベートで英語の先生に教わって、2年かけて準備して。そしてついに念願のカナダ留学。夢いっぱいで行ったのだけれど、待っていたのはホームシックと引き込もりの日々でした。勉強したはずの英語なのに、相手が何を言っているのかさっぱり分からない…。大学の寮に入ってからは、同じ境遇の友人たちと頑張ることができました。
今だったら「とりあえず話してみよう」と思えるけれど、当時の私にはなかなかできなかった。日本人は飛行機内で「オレンジジュースをください」と言うのにも、わざわざ日本人スタッフを呼んだりする。困ったことだけれど、それ、分かるんです。過去の私がそうだったから。間違ったとしてもとりあえず話してみる姿勢が、当時の自分にあればなぁ。若かったなぁ。
ーーカナダで3年間を過ごした後、外資系の航空会社に就職することになります。CA(客室乗務員)という職業は狭き門ですよね。
今野 英語に出会うよりも前、飛行機に乗った時に「なんて素敵な人たちなんだろう」と憧れを抱いたのがCAでした。航空会社に就職するために2年間、40~50回は試験を受けました。カナダから帰国後は東京都内のホテルで接客をしていたので、世界中の人とコミュニケーションをとる夢はかなえてはいました。それでも挑戦し続けて、これで落ちたらもう辞めようと思って受けたタイ航空に合格。東南アジアのバンコクという思ってもいなかった場所を拠点に、世界を飛び回る日々を10年間続けました。
本当はCAとして、仕事を全うしたかった。天職だと思っていました。でもCAはいわば「飛び職」で、毎日地球を駆け回る異常な環境のなかで生活しています。見た目では分からないけれど、普通の状態ではなかった。次第に自律神経を病んでいって、体調を崩してしまいました。やり続けたいという思いだけでは、できなかった。陸上競技を中途半端な状態で辞めた私にとって、どうしてもやり遂げたいことだったのに。挫折というより、ただただ、悲しかった。
ーー「そら子」という名前は、空への憧れからでしょうか。今野さんにとって空とはどんな存在なのでしょうか。
今野 空は、私の居場所でした。過去形なのが寂しいのですが…。空の仕事への憧れから始まって、実際にCAとして働いて感じたのは、地球上には本当にさまざまな人がいて、さまざまな場所で暮らしていて、それが空でつながっているんだということ。そんな空で仕事ができた私はとても幸せで、そこが私の居場所だったんだと、今でも毎日、空を見上げて思います。ちっぽけなことで悩んでいても、空を見上げれば、気持ちを大きくさせてもらえるんです。
ーーその後、悲しい思いのなかで帰国して、どのように乗り越えていたったのでしょう。
今野 故郷の会津若松に帰って始めたのが、英語を教える仕事です。大手英語教室で1年間、講師として仕事をさせていただきました。その経験が現在のサークルのベースにもなっています。英語教室はとても楽しくて、子どもたちからたくさん元気をもらって、体がみるみる回復していきました。乗り越えられたのは、子どもたちの元気のおかげなんです。
ーー秋田にいたご主人と結婚して秋田で暮らし始め、育児をしながら英語サークルを立ち上げました。悦子さんのレッスンは、通常の習い事としての英語教室とはまるで違います。
今野 子どもを持つなんて未知の世界でした。長女が生まれた後、自分のやりたいことが自由にできなくてノイローゼ気味になっていた時に、メキシコから秋田に帰ってきていた女性と知り合って。その出会いが、活動の方向を決めるきっかけになりました。彼女と「何かやりましょう!」と始めたのが、現在も続く無料企画「親子で英語 in フォンテ文庫」です。英語音源を使ったリズム体操、読み聞かせ、ゲームなどを組み立てて、子どもだけでなくお父さんもお母さんも楽しんでもらえるように企画してきました。
「元気になった」「育児が楽しくなる」と言ってもらえると、私は燃えちゃう。うれしいの、喜んでもらえると。CAの時からそうでした。機内で子どもたちを集めて折り紙をしたり、エスカレートして声が大きくなって上司に怒られたり。でもご両親にはとても感謝された。機内というのは密室で、子ども連れの方は周囲に迷惑をかけないようにと特に緊張しています。CAの仕事は、乗客みんなに安心してくつろいで乗っていただき、目的地までちゃんと送り届けること。私、サービスが好きなんですね。その時と同じようにレッスンをたくさんの人に喜んでもらえてうれしくて、そこから勢いづきました。
今ではこういった企画は秋田市では当たり前のようになったけれど、立ち上げた当初はこんなレッスンはなかった。斬新だったと思います。「親子で英語 in フォンテ文庫」は今ではボランティアさんが増えて、とてもクオリティーの高いものになりました。勉強として英語と向き合うのではなく、「楽しい」「もっと覚えたい」と思ってもらうのがこの英語サークルがある意味なのだと思います。
ーーそら子ママの英語サークルに、英語への最初の扉を開いてもらった子どもたちは多いと思います。レッスンには、どんな思いを込めているのでしょうか。
今野 子どもの頃から英語を学んでほしいとは思っていません。語学はいつから始めても、必ず上達するものだと思います。ただ、英語を通して、子どもたちの世界観が広がってくれたらうれしい。世界って、本当に広いんです。「砂漠での生活が世界中で一番好きなんだ」と話してくれたインドの方、末期がんを患って片道だけのチケットを持ってボランティアに向かう日本人…たくさんの人たちと空で出会ってきました。ちょっとしたことに悩んでいると、そんな人たちのことを思い出します。海外に行くこと、英語を覚えることが大事なのではない。世界は広い、だから、自分の世界を広げていってほしいと願っています。
世界中のたくさんの人々、たくさんの景色に出会ってきた悦子さん。そら子ママのブログにあるように、「雲の上はいつもブルースカイ」。地上でどんなことがあっても、世界は青空でつながっているんですよね。そんな悦子さんの世界観が、レッスンを通して子どもたちに伝わっているのかもしれません。
今野悦子(そら子ママ英語サークル)
福島県会津若松市生まれ。陸上競技の短距離選手として実業団に所属後、カナダ留学。その後、外資系航空会社にCAとして10年間勤務。2011年から秋田市在住。12年「そら子ママ英語サークル」を立ち上げ、数々のクラスを展開中。そら子ママ英語サークル