「メガネライター」という職業の先駆けとなった女性が、秋田にいることをご存知ですか?眼鏡店勤務からはじまったその道筋は、拠点となる秋田への愛着も相まって、さまざまな職業へと展開していきました。その興味深い半生に迫ります。
—メガネライターはどのような経緯で始められたのですか?
今絵 秋田の短大を卒業後に秋田市の眼鏡店に勤務したことが始まりですが、それ以前からメガネというアイテムへの憧れはありましたね。その後、メガネ専門誌の起ち上げに関わりました。そこから、1か月の半分ずつを東京と秋田で往復する生活が始まったのですが、編集部員は事務を含めて3人。取材、編集、執筆、広告営業、書店営業、雑用まで、とにかくなんでもやるんですよ。月刊で100ページほどの専門誌なんですが、長年業界誌を発行している親会社の力をお借りしながら、なんとか手探りで必死で入稿していましたね。
—初めての紙媒体のお仕事でその作業量は尋常じゃないですね!
今絵 最初はとにかく、業界関係者に「もっとたくさんの方にメガネの魅力を知ってほしいんです!」と熱くお願いしてまわりました(笑)。そうしているうちにお力を貸してくださる方が少しずつ増えていったのですが、編集部員が次々と辞めてしまい、最終的には私一人に。でも〆切は容赦なくやってくるので、辞めるわけにもいきませんでした。当時はテレビも見ないし、遊びにも行かないし、とにかく仕事ばっかりしていたので、この頃のことはよく覚えていません(笑)。そして入社から2年経った頃、同誌の移管に伴い、フリーランスのメガネライターとして活動するようになりました。
—専門誌ならではの大変だったエピソードは?
今絵 メガネのフレームを紹介する写真のキャプション(紹介文)を、毎月何十本も書いたことです。新作モデルが出る時期はフレームの本数が100本を超えることも。私はこの時期を、1000本ノック時代と呼んでいます(笑)。でも人間って追いつめられると工夫するもので、ファッション誌やメンズ誌を読みあさって言葉やロジックを勉強して応用する、ということを繰り返してましたね。
—その後、ご結婚とご出産を経験されました。働き方に変化はありましたか?
今絵 出産前に病院で仕事の電話をしたり、産後退院して帰ってきてすぐに原稿を書いたり、授乳をしながら原稿を書いたりとかしてました(笑)。子どもが生まれてからは、ファッション誌やライフスタイル誌などに書く機会をいただきました。メガネ業界という枠を越えて、メガネの魅力を伝えられることがうれしかったですね。
(これまで今絵さんが原稿を執筆したメガネ専門誌やファッション誌、ライフスタイル誌などの一部)
—メガネのどういうところに魅力を感じますか?
今絵 ひと言でいうと、メガネの方程式=フレーム×レンズ×(ショップ+スタッフ)です。フレームにはデザインなどのファッション的要素やものづくりとしての魅力がありますし、レンズには機能などの科学的な面白さがあります。また、レンズやフレームを上手に活用することで、目元のクマやシワを隠したり顔を明るく見せたりと、メイクアップやエイジング、美肌効果も期待できるんですよ。さらに、かけるメガネのイメージによって、メンタリティをコントロールできる仮面効果も。メガネは、こういった要素の掛け合わせにより完成する魔法のアイテムなんです!
—もっと一般の人に知ってほしいメガネ選びのコツはありますか?
今絵 眼鏡店のスタッフさんとの出会いは、美容師さんを選ぶのに似ているということですね。髪を切ってもらうとき、この人に切ってもらいたい!という方との出会いって大事じゃないですか?それと同じように、たとえば同じ眼鏡店でも、スタッフさんによっておすすめが変わるはずなんです。そういう相性って大事なんですよ。
(秋田市通町「カモヤ眼鏡店」の加茂谷さんから、業界の最新情報を収集する今絵さん)
—その後、肩書に「構成作家」が加わりますが、そのきっかけは?また、お仕事の内容はどんなものですか?
今絵 秋田テレビさん運営の「マイベストプロ秋田」のライターのお仕事がきっかけとなり、45周年記念の特別番組で台本を書いたのが始まりです。ジャンルは主にドキュメンタリーですね。ディレクターさんと打ち合わせをしながら、取材をして番組の構成を考えて台本を書きます。ロケや編集に立ち会うこともありましたし、情報番組の企画会議に出たり、こちらの意見を反映しながらリサーチしたりすることもありましたね。
—ライター業と構成作家は同じ「書く」仕事ですが、比較してみてどんな違いを感じますか?
今絵 テレビ台本の場合は、映像の力が強い分、ナレーションなどの原稿は引き算で書いていく感じです。ほかにも構成力が必要だったり、CM前などはコピーライティングの力も使いますね。紙やWebは一瞬を切り取った画像ですので、文字原稿は足し算や掛け算で書いていく感じです。
—現在手がけられているお仕事について教えてください。
今絵 まずは、Webサイト「海と日本プロジェクトin秋田県(※下記参照/秋田テレビ運営)」のディレクションと原稿です。これらの取材で海に関わる多くの方々と触れ合ってきましたが、知らないことや新たな発見がたくさんありました。ぜひ皆さんにも海に関するさまざまな活動を知っていただき、未来の子どもたちのために考える機会となっていただけたらうれしいです。
ほかには、起ち上げにかかわった月刊メガネ専門誌でのコラム連載や取材コーディネート、主に県の専門家派遣でのブランディングやPR戦略等のコンサルティング、またご依頼に応じてコピーライティングなどをしています。
(Webサイト「海と日本プロジェクトin秋田県」のトップページ)
(御所野幼稚園で行われた「海と日本プロジェクトin秋田県」の撮影の様子)
—ライター業と家事・育児の両立に関してはいかがですか?
今絵 両立ができているか全然自信がないんですけれど…。やっぱり、周りの皆さんには本当に感謝しています。秋田のお仕事をスタートして間もない頃、〆切や取材でどうにもならないときに、近所のママ友に助けてもらったことも。以前は年に一度、東京で開催されるメガネの世界三大展示会のひとつ「iOFT」へ取材に行っていましたけど、家族のサポートがなければできないことですし、子どもたちも頑張ってくれて本当に感謝しています。
—ご自身のお仕事が育児に影響していると感じることはありますか?
今絵 中学1年生の上の子が本好きで、将来、本をつくったり書いたりするのもいいなぁなんて言い出して。少しうれしくもあり、ものすごく心配でもあり…(笑)。あとは、昨年から海に関わるお仕事に子どもたちを連れて行くようになって、子どもたちも私も海が好きになりました。あんまり積極的に行く方ではなかったんですけれど、いざ行ってみると今まで知らなかった楽しさがありましたね。
(仕事を通じて親子で好きになったという海の取材の様子)
—東京へ引っ越そうとは思いませんでしたか?
今絵 よく聞かれます(笑)。フリーになるタイミングで、東京に引っ越して社員にならないかというお誘いもいただいたのですが、私の中では秋田で子育てをするイメージがあって。秋田はとてもいいところなので大好きですし、とても気に入っています。
先日、小学校からのお手紙に地域の見守り隊の方の声が掲載されていまして、子どもたちをつぶさに見守る様子がひしひしと伝わってきて、感謝の気持ちでいっぱいになったんですね。そういう方々に見守っていただきながら子育てができることで、ひとりではないと思える。それが、秋田で子育てをする幸せなのだろうと思います。
—今後の目標を教えてください。
今絵 メガネは私のライフワークなので、ずっと続けていきます。また、秋田には豊かな自然はもちろん、昔ながらの良き文化やものづくりがしっかり残っていて、県民性にも大きく影響していると思うので、それになんらかの形で関わっていきたいですね。例えば、全国的に知名度の高い「秋田美人」は、今は男性目線が強いですが、これを女性目線で発信していけたら、秋田がもっと面白くなるのではないかと考えています。
取材中、「私、頼まれると断れないのよね〜!」と朗らかに笑う今絵さんでしたが、編集部時代の激務は本当に驚きでした。でも、デキる人だから頼みたくなるんですよね。メガネのおもしろさや秋田の魅力を追求する姿に、今後のご活躍を期待せずにはいられません!
撮影協力:カモヤ眼鏡店
——————————————————————————
「海と日本プロジェクト」とは…
海と人と人をつなぐ。
さまざまなかたちで日本人の暮らしを支え、ときに心の安らぎやワクワク、ひらめきを与えてくれる海。そんな海で進行している環境の悪化などの現状を、子供たちをはじめ全国の人たちが「自分ごと」としてとらえ、海を未来へ引き継ぐアクションの輪を広げていくため、日本財団、総合海洋政策本部、国土交通省の旗振りのもと、オールジャパンで推進するプロジェクト。
——————————————————————————
今絵うるは
1974年、東京生まれ。3~18歳まで青森県八戸市で育つ。18歳から秋田市在住。短大卒業後、眼鏡店勤務を経てメガネ専門誌の起ち上げに携わり、2003年よりメガネライターとして活動を開始。秋田市を拠点に、メガネ専門誌「Private eyes」(近代光学出版社)のほか「エル・ジャポン」(ハースト婦人画報社)などで原稿を執筆。
2011年4月より秋田での活動を開始。フリーペーパーなどの執筆、秋田テレビ運営のWeb「マイベストプロ秋田」のライティングを経て、構成作家の活動を始める。現在は、コピーライティングやブランディング・PR戦略等のコンサルティングなど幅広く活動中。
今絵うるはFacebook