皆さん、あけましておめでとうございます!2020年のオリンピックイヤーがいよいよ幕を開けましたね!昨年秋田でもさまざまなニュースがあった中、明るい話題をふりまいたのが、40年ぶりに誕生した「あきた芸者」です。
2014年、秋田市川反にかつてあった芸者文化を復活させようと、舞妓や芸者の育成を目的に立ち上げられた「あきた舞妓」。あきた舞妓として修行を積んでいた紫乃さんが昨秋めでたく一本立ちし、初のあきた芸者となったいきさつについてお話を伺ってきました。
花柳界の華やかさにあこがれて
— 紫乃さんが「あきた舞妓」に興味を持ったきっかけは何でしたか?
紫乃 テレビや雑誌で「あきた舞妓」が取り上げられているのを見て、川反に芸者文化があったことを知って、女性ならではの職業として花柳界にあこがれを持ったのがきっかけですね。
その華やかな職業が地元秋田にいながらできることと、観光面でも活躍できることに魅力を感じました。自分なりに調べてみると、川反芸者は明治時代から存在していて、歴史背景が深くて誇れるものだということも分かりました。
— お座敷に上がるまでは、どのような修行をされてきたのですか?
紫乃 あきた舞妓を始めるまでの10カ月間は、見習いとして踊りの修行をしていました。その頃から踊りの先生は2名いらっしゃいまして、花柳流の登代丈(とよたけ)お師匠さんと丈陽人(たけひと)お師匠さんから日本舞踊を指導していただいています。
2016年10月にはあきた舞妓になり、踊りに加えて茶道も習い始めました。どちらもお稽古の時間は限られていますので、合間を見つけて自主練習することが大事になってきます。
あきた舞妓の時からあきた芸者を目指していたので、あらゆる面でご指導いただいている元川反芸者の若勇お姉さんのような、踊りの名手になりたいという気持ちはあります。
若勇お姉さんは魅せる踊りが上手で、お客様が見ていて楽しくなってくるんです。結婚式などで披露する格式高いものや季節を表した踊りなど、さまざまな種類の踊りを表情豊かに踊り分けるので憧れますね。
(あきた舞妓時代の紫乃さん/写真提供:株式会社せん)
(あきた舞妓として踊りを披露。写真右が紫乃さん/写真提供:株式会社せん)
— 修行で大変だったことや、印象に残っていることは?
紫乃 最初はすべてのことに慣れなくて大変でした。あきた舞妓になるまでの期間、私は料亭の仲居として働きながらお稽古をしていたので、朝9時に出勤してランチ対応をした後、お昼休憩の時間を利用してお稽古に行ったり…。着物の着付けは、あきた舞妓のお姉さんや料亭の先輩から習っていました。
踊りの経験もありませんでしたので基礎ができておらず、体幹が弱くて。日本舞踊は中腰の姿勢をキープしないといけないのですが、はじめのうちは膝を折るとお尻が出てしまっていました。三味線の音に合わせて「1、2、3」と首を振るのもぎこちなかったですね。
でも茶道の先生からは、「動きが丁寧で物を大事にしているように見えるので、茶道に向いてる」と褒められたことがあって、それは嬉しかったです。
皆を幸せにするあきた芸者になるために
— そして2019年10月にはあきた芸者に昇格されましたが、それに向けてのお稽古はどういったことをしていましたか?
紫乃 あきた芸者としてお披露目するために、2019年2月から踊りや楽器の本格的なお稽古が始まりました。あきた芸者になると男踊りも踊れるようになりますから、勇ましかったり、粋だったりと踊りの種類も変わってきます。「川反花柳界の格が下がらないように頑張らないと」と、ずっと緊張していました。
(あきた芸者になると、着物は留袖、かつらは芸者島田など、あきた舞妓とは違う装いに/写真提供:株式会社せん)
— あきた芸者として必要な技量はどんなことだと思いますか?
紫乃 今は、あきた芸者が私一人とあきた舞妓が二人いるので、私があきた舞妓を守れるようになることですね。あきた舞妓とお客様とのやりとりを見守りつつ状況によっては私が対応して、お客様に「楽しかった」と帰っていただけるようにするということです。
目標である若勇お姉さんが「守る」という言葉をよくおっしゃっていて、私にはもともとそういう資質がなかったので、あきた舞妓たちを引っぱっていかないと、とは意識しています。
それからお客様とお話することも大事な役目です。宴会の賑やかな雰囲気が好きなので楽しみながらできていると思いますが、終盤に改めて一言を求められたりすると、大勢の前で話すことに緊張してしまうので、そこをもう少しうまくこなせるようになりたいです。
あとは、お座敷に呼んでいただいた料亭への気配りも必須ですね。例えば1時間のご予定で入った席で、お客様が延長した時はお店側にも改めて「(呼んでいただいて)ありがとうございます」と伝えます。滞在時間の長さがお店の売り上げにもつながりますし、お客様にも楽しんでもらえれば、皆さん幸せになれますよね。
芸を磨きながら、秋田県の魅力もPR
— 実際にあきた芸者になられて、今どのような心境ですか?
紫乃 1カ月過ぎた頃にようやく実感が湧いてきて、お客様の前で三味線を弾くのにも慣れてきました。あきた芸者を目指していたのでとても嬉しいのですが、周りの方々に認めてもらえるようにもっとお稽古をしないと、と今も思っています。
「秋田川反芸妓を応援する会」後援会の皆さんや花柳先生、若勇お姉さん、お茶の那波先生、会社の皆さんに恩返しする気持ちで、常に勉強していきたいです。
— 現在の主な活動内容を教えてください。
紫乃 毎週土曜は、松下劇場でお昼の部(12:00〜)と昼下がりの部(15:00〜)を開催していまして、私は三味線と踊りで参加しています。土曜以外は10名様以上の団体貸切も承っておりまして、こちらは県外のお客様が多いですね。夜は、15名様以上1日1組限定の「松下夜宴プラン」もあります。
(能代市の旧料亭「金勇」で三味線を演奏する紫乃さん。写真右端/写真提供:株式会社せん)
(松下劇場には、あきた舞妓・あきた芸者グッズもたくさん)
それから「あきた舞妓と街歩き」というプランは、千秋公園や秋田県立美術館、ねぶり流し館など秋田市内の観光地を訪ねる4コースがありまして、海外のお客様に人気です。SNSでも告知していますし、ホームページからの予約も多いです。
— あきた芸者として、どのような存在を目指していますか?
紫乃 川反芸者の品格は、昭和の頃には東北一と称された歴史背景がありますから、まずはその名に恥じないように、これからも芸を磨いていきたいです。一人で今の立場になれた訳ではなく、周りのご支援があって初めてあきた芸者第1号になれたので、その感謝の気持ちを忘れずに、でもプレッシャーを感じないよう精進したいと思っています。
今はあきた芸者として観光PRの活動もしていますので、そういう昔の芸者文化とは違う部分もアピールしながら、もっと若い女の子に興味を持ってもらえるようになりたいですね。
「会える秋田美人」というキャッチフレーズとともにその活動が始まった「あきた舞妓」。立ち上げから5年を経て、紫乃さんがあきた芸者として花開きました。これからも世界中に、秋田川反花柳界や秋田県の魅力をアピールしてくれることを期待しています!
【紫乃さんプロフィール】
横手市出身。お米は家族がつくっている美味しいあきたこまちしか食べたことがなく、お酒を飲むようになってからお肉が大好きに。動物も大好きで、実家でおじいにゃん(猫)を飼っている。2016年から修行を始め、2019年10月「あきた舞妓」初の「あきた芸者」となる。
【秋田川反芸妓連「あきた舞妓」のなりたち】
秋田市の花柳界・川反(かわばた)では、明治時代から芸者衆が街の賑わいを支えてきました。平成のはじめ、後継者不足やお座敷の減少などを理由に一時看板を降ろしましたが、この素晴らしい文化を失うわけにはいかないと、2014年に「あきた舞妓」を立ち上げ、舞妓の再育成が始動。2018年には約30年ぶりとなる「秋田川反芸妓連」の復活が果たされました。季節の踊りや全国的に定番のお座敷もののほか、秋田川反花柳界にしかない独自の芸を磨いています。
「あきた舞妓」ホームページ
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【ご予約・お問い合わせ】
松下総合案内(株式会社せん)
秋田市千秋公園1-3 あきた文化産業施設 松下
電話番号/018-827-3241
電話受付/10:00〜18:00(※月曜を除く)