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かつて隆盛を誇った横手縞が見事復活!横手の魅力をさまざまな形で発信し続けるクリエイター

デザイナー 田畑 晃子さん

横手地方で染め物といえば浅舞絞が有名ですが、実は江戸時代初期から昭和初期にかけて、横手は横手絞(しぼり)、横手縞(じま)、横手絣(かすり)といった綿織物の一大生産地でした。その勢いは東北一円にまで広がり、仙台の伝統工芸・常盤紺型のもとになったと言われています。
東京から横手に嫁いでさまざまな活動をしていたデザイナーの田畑晃子さんは、ひょんなことからかつての文化の存在を知り、そこから運命に導かれるように「横手縞」を復活させました。

「どうせならどんぶくを作っちゃおう!」から始まりました

ーー横手縞を知ったきっかけを教えてください。

田畑 ご当地グルメを通じてまちおこしをする「横手やきそばサンライ’S」という団体でPR活動をしていた時のことなんですが、どんぶくを着ているとさまざまな人から話しかけられたんですね。そこで、地元の布で作ったどんぶくならもっと話題性があるのでは、と考えたのが始まりです。

ーーどんぶくが横手縞復活の始まりだったんですね。

田畑 調べ始めると「横手縞」という織物があったらしい、という話を聞いて。「横手縞の反物を持っている人に譲ってもらえれば…」と簡単に考えていたのですが、いざ周りに聞いてみると「横手縞」という単語そのものを知らない人がほとんどだったんです。そこでネットで調べてみたら、秋田県立博物館で横手縞の生地見本を展示していたことが分かったので、博物館に出向いて実際に生地見本20点を見せていただきました。学芸員さんのお話からは、横手縞は特別な織り方ではなく、その糸の配色に特徴があること、綿織物なので買った証明を残している人が少なく、今から新たな横手縞が出てくるのは難しいこと、横手で織られた証拠がなければ横手縞と断定できないこと、などの事情を知ることができました。

人との縁がつながって出会った横手縞の魅力

ーーそこからどのようにして実際に織るまでに至ったのですか?

田畑 それらを聞いた私は、「今、横手で織物をしている人がいないんだったら私が織ろう!」と。実はその頃もいたことは、後から知ったんですけどね(笑)。もともと編み物は好きでしたが機織りは未経験でしたので、試しに盛岡手作り村のホームスパンを経験してみたら、思いのほかスムーズにできたのでさらに自信をつけました(笑)。
後日、たまたま遊びに来た主人の友人から十文字町の織物の先生を紹介してもらって、さらにその方から横手市在住の染織家を紹介してもらうことができました。その染織家の方に「自分が横手縞を復活させて、その反物を使って作った小物を安い値段で販売して、いろんな人の手元の置いてもらいたい」と話したところ、手元に残っていた機織り機を一機、快く譲ってもらえることに。しかも我が家に通いで教えてもらえることにもなったんです。県立博物館に行ってからここまでの出会いは、実に4日間の出来事でした。

ーーそこまで田畑さんを駆り立てた横手縞の魅力とは?

田畑 初めて生地見本を見たときの衝撃はすごかったですね〜!横手縞は黒を基調とした大胆な縞模様が特徴ですが、情報もなにもないところからどうやってこの美しさが生まれたのかと。当時の草木染めは真っ黒が一番難しいと言われてまして、粋が好まれた江戸時代でも珍しかったようですから。この地でなぜこれを表現できたかというと、私が思うに、横手という土地は受け入れる力があると思うんです。一歩中に入ると、すごく親しみを込めて接してくれる。そういった風土や暮らしの中で育まれた美意識と、横手の人々がもつ温かさをも織り込んだような横手縞に惹かれたんだと思います。

元々は分業制の織物をたった一人で

ーー横手縞を再現するまでの工程を教えてください。

田畑 はじめに、縞模様の色の配列を決める「設計」は、生地見本の写真を見て色ごとに糸の本数を数えて、必要な糸の種類と量を割り出します。次の「糸の染色」は、染織家の先生から草木染めは難しいとの助言をいただいたので布用の染料を使っていますが、鍋を2〜3個使って一晩なじませるので、一色でも一日がかりで染めていきます。
次の「整経(せいけい)」は、織り機に経糸(たていと)を通す前の一番大事な工程で、設計通りの配列で整経枠に糸を巻きつけていきます。そして整経枠からはずした糸を、織り機の後方に巻きつける「男巻き(おまき)」は、とても力のいる仕事で実は数人がかりでやる作業なのですが、一人でもできるやり方を伝授してもらいました。それから「綜絖(そうこう)通し」「おさ通し」とそれぞれの金具に一本一本糸を通していって、ようやく織り機全体に経糸が通されることになります。初めて作ったときは、ここまでで2ヶ月かかりました。「織る」というのは本当に最後の工程なんです。

ーー織るまでの作業が大変なんですね!特に苦労される点は?

田畑 やはり糸の染色と整経ですね。染色はまず思い通りの色を出すのが難しいです。しかも束状の糸に比べて、実際に織り込まれたときには黒色の影響で色合いが変わって見えますから。でもデザイナーで良かったことがいくつかありまして、生地見本の色を確定するときにDICの色チップを使ったり、染料を調合するときは色の表現(CMYK)の知識が役に立ちました。
整経は、絶対に糸の配列が入れ替わったり絡まないように交差させながら棒に通していくことと、糸の長さや張りなど随所に神経を使いながら進めていくので、とにかく無心で作業を進めていますね(笑)。ここを間違わなければもう大丈夫と言ってもいいくらい。この整経だけで一週間強はかかります。
織物は工程そのものも根気のいる作業が続きますが、織っている最中に経糸が切れることがあって心が折れることも。でもご指導いただいた先生から「織物の作業から離れると心が離れる」とアドバイスされたので、本業のデザイナーの仕事をやりつつ、1日10分は向き合うようにしています。

横手縞を多くの人に知ってもらうために…

ーー完成した反物はどのように活用していますか?

田畑 ほかの染織家の方々に迷惑がかからないように、1反の価格を極端に安くしてはいけないと考えているので、反物としては販売していないんですね。この横手縞という誇りある文化を、市外の人はもちろん地元横手の人に知ってもらうためにも、なるべくリーズナブルな価格で販売できるように、作家さん達に小物加工と委託販売をしてもらっています。今までポーチ、バッグ、アクセサリー、コースター、名刺入れ、キーケース、帯留めを作ってまして、若い方にはピアスなどのアクセサリーも好評ですよ。それから展示会での販売を2度してまして、ご年配の方に声をかけていいただいたりお話する機会が増えましたね。

ーー今後の展望を教えてください。

田畑 今のところ横手縞の小物を常時取り扱う店舗がないので、横手の人の暖かさを伝えてくれるようなお店に置いてもらえるようにしたいです。私はもともと、生まれ育った土地に頓着はない方だったのですが、ここ横手は土に根ざした郷土愛がとても深くて、そういう心を持っている横手の人が大好きなんです。でも、そんな地元の人が当たり前と思っている暮らしの中にも、まだまだ宝物が眠っているんじゃないかとも思うんですね。ですので、まずは私が横手縞を通して、横手という土地の魅力を発信していけたらなと思っています。

田畑さんの行動力と発信力がつなげた縁というものがとても感慨深く、およそ半世紀の時を超えて再現された「横手縞」という文化は、また新たな地域の財産になるのだなと感じました。しかし、織物がこれほど時間と根気のいる作業とは!その美しさの中に込められた想いが、一人でも多くの方の手に届くようにと願うばかりです。


田畑晃子(デザイナー)

東京生まれ、東京育ち
結婚のため秋田県横手市に移住
2011年よりNPO法人Yokotterの活動に参加
その後、横手かまくらFMのパーソナリティー、YOKOTE音FESTIVAL実行委員、ご当地グルメ「よこまき。」など、『横手を元気に楽しく』をモットーに活動。
Facebook
https://www.facebook.com/acotan28?pnref=lhc.unseen

キーワード

秋田県内エリア

Writer

熊谷 清香

熊谷 清香

地元タウン誌や広告代理店勤務を経て、フリーランスで企画・編集・取材・インタビュー・ライティング等をしています。中高生の母。秋田市出身。

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