秋田市新屋の住宅街にある、地域活動支援センター「アートリンクうちのあかり」。障害のある人、生きづらさを抱える人が、創作活動を通して自分を表現できる場です。秋田公立美術大学の教員でありながら、NPOの代表としてこのアトリエを運営する安藤郁子(あんどういくこ)さんに、場づくりの経緯と想いを伺いました。
目の前の人にとって居心地のいい場所をつくる
−まず初めに、地域活動支援センター「アートリンクうちのあかり」がどういう場所か教えてください。
安藤 ここは、生きづらさを抱える人たちが気軽に集えるアトリエです。開所前は大学構内で月に一度、栗田支援学校の生徒や美大生たちとアート活動をやっていましたが、もともと福祉施設だったこの場所を2018年に譲り受け、アトリエとして使えることになったんです。単発の活動ではなく、もっと一人ひとりの背景を知りながら長く関わりたいと思っていたので、アトリエ常設はありがたいお話でした。
−毎回たくさんの人が利用しているそうですね。
安藤 家でも学校でもない居場所を必要としている人は、たくさんいますからね。でも最初の頃は、利用者が1名だけの日もあったんですよ。目の前にいるその1人が充実した時間を過ごすにはどうしたらいいだろう?と、スタッフみんなで考えながら場を開き続け、気づいたらたくさんの人が集まってくれるようになっていました。
−壁には作品が並び、画材もたくさんあります。活動の軸に「創作活動」があるのはなぜなんでしょう?
安藤 この場所で大切にしたいのは、その人の「声」をどう受け取るかということ。社会のさまざまな場面で、「普通であれ」という無言のメッセージに生きづらさを感じている人が、思っていることや考えていることを伝えられる場所にすることです。そういう場所にしたいと思った時に、言葉のやり取りだけではなく、創作活動による表現も「声」のひとつと捉えられたら、面白いと思うんです。絵を描いたり、紙を折ったり、楽器を鳴らしたりするのも、その人の表現、「声」であると。
表現することが、人との関わりを生んだ
−安藤さんが、表現の世界に興味を持ったきっかけは?
安藤 私は小さい頃から内気な性格で、人と関わらなくてもできる、1人で打ち込めるものを探していました。そして大学時代、陶芸と出会ったんです。自分の足元にある根源的な素材である土と、すべてを受け止める形をした器。これはすごいと思いました。土を触ること、窯を焚くことに畏敬の念を感じ、「芸術ってすごい。私もすごい作家になりたい」。そう思って、大学、大学院で美術を専攻し、卒業後は金沢の工房に在籍しながら作家活動をしていました。陶芸が、生きることそのものでした。
−その後、クラフト界の登竜門と位置付けられる「朝日現代クラフト展」でグランプリを受賞されたんですよね。その時のお気持ちは?
安藤 とても驚いて、何かの間違いだと思いました。それまでは、人と関わることが苦手な一方で、人に認められたい、自分をわかってくれる親友が欲しい、という欲求も強かったかもしれません。それが、グランプリを獲り、個展を開催するようになって、「私の作品を見てくれる人がいるんだ」と思えたことで、それまで萎縮していた気持ちがどんどん広がっていきました。人に興味を持ってもらったことで、私も人に興味を持つようにもなりました。人は、自分の声を聞いてもらうことで気持ちがほどけて、他の人の声を聞きたいと思うようになるのかもしれない。この想いが、今のNPO活動につながっています。
学校教員を経験し、秋田へ
−金沢の工房に在籍された後は、どんなことをしていたんですか?
安藤 結婚を機に青森へ移り住み、約10年間主婦をしながら作家活動を続けていましたが、その後離婚。小さな子どもを一人で育てていくために就職活動をしましたがうまくいかなくて…。教育学部卒で教員免許は持っていたので、勉強して、青森県内にある支援学校の教員採用試験を受けました。無事に合格し、40歳を過ぎて初めて教員として採用され、1年間務めました。
−教員を経験して、見えてきたことはありますか?
安藤 何もできなかったというのが正直なところです。支援学校の文化に戸惑っているうちに、1年経ってしまいました。在職中に、秋田公立美術大学で陶芸分野の教員の募集を見つけ、運命的なものを感じてすぐ応募。当時小学校低学年だった娘とともに、2011年に秋田へやってきました。
−秋田に来てからは、どんなふうに活動を進めてきたのでしょうか。
安藤 秋田公立美術大学で陶芸を教えながら、支援学校時代の経験を胸に、2012年には滋賀県や埼玉県、秋田県内在住の障害のある方の作品をお借りして展示した「いのちのありか」展覧会、2014年にはうちのあかりプロジェクトとして冊子を発行しました。「陶芸って土の中にある鉱石(灯り)を探してるみたい」。そんな想いから当初「つちのあかり」と名付けていた活動は、途中からみんなのうち(内側)にある灯りを探していく「うちのあかり」という名前に変化を遂げました。2015年にはNPOを設立し、2016年から毎年秋田市の委託を受けて「はだしのこころ展」を開催しています。「あきたアート はだしのこころ」展のウェブ展示
多様な人が集う場は、まさに「荒波」のよう
−その後、2018年にアトリエを開所され、日々運営に携わる中で感じることはありますか?
安藤 よく、多様性が大事とは言いますが、違いを認めるってものすごく大変だと感じています。「○○がしたい」という人と、「○○はしたくない」という人、相反する意見の人がいた時に、その場をどうしていくのか?ここをいい場所にしたいからこそ、悩みながら関わり続けています。まさに「荒波」のようですよ。
−荒波!それは、人間関係の葛藤のようなもの?
安藤 そうです。常に何かしらの荒波があるので、スタッフみんなでいつも葛藤しています。でも、それがこの仕事の面白さでもあるんです。例えば、週2回来てくれる生沼夏美香さん(20歳)。彼女は身体に障害があることで、同年代の友だち同士で遊んだり喧嘩したりといった関わりを持つ機会が少なかったんですが、うちのあかりに来るようになって、友だち同士の中で巻き起こる葛藤を経験しています。これが社会なんですよね。その経験は、夏美香さんの描く色や線に現れます。彼女は、嬉しい気持ちや不安な気持ちを絵に表現できる、素晴らしい力を持っているんです。
−そんな荒波と葛藤の中で、みんなにとって居心地いい場所をつくるには、どうしたらいいんでしょうか?
安藤 「声」をどう受け取るかが大事と先ほど話しましたが、やっぱり「対話」が重要だと思うんです。ロシアの哲学者バフチンは、対話理論のなかで「ともにさまざまな声を出す」状態であるのが社会だ、と言っています。いろんな人がいろんな意見を出す中で、お互いの想いを知り合うことができたら、自分らしく生きられるのではないかと。悩みながらですが、話を聞く。受けとめる。受けとめたことを伝える。そんな対話の繰り返しで、みんながみんなのまんまでいられる場所にしていきたいです。
工房で「あんちゃん」と呼ばれている安藤さん。作家や教員経験など紆余曲折を経て、悩みながらも工房を運営する率直な姿に、周りの人が信頼を寄せるのでしょう。インタビュー中も、「まるですごい人みたいに思われたらどうしよう」とおっしゃったりと、すごくチャーミングで人を惹きつける魅力のある方です。そんな安藤さんは、ここのような居場所があちこちにできたらいいな、と話します。みんながみんなのまんまでいられる場所が、もっともっと増えますように。
DATA
【安藤郁子さん プロフィール】
弘前市出身、秋田市在住。岩手大学教育学部、上越教育大学大学院で陶芸を学んだ後、財団法人金沢卯辰山工芸工房に技術研修者として3年間在籍。その後、結婚を機に青森県に帰郷して出産。約10年間陶芸作家として活動する。離婚後の2010年から1年間青森県にある支援学校で勤務し、2011年秋田市立秋田公立美術大学に着任、現在准教授。2015年にNPO法人アートリンクうちのあかりを設立、代表となる。
【NPO法人 アートリンク うちのあかり】
秋田県秋田市新屋比内町11-16
電話番号/018-838-4711
開所時間/9:30〜15:30(創作活動は10:00~15:00)
休所日/火、金曜日、祝日(他、お盆、年末年始)
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