女性の研究職への進出は日々向上しているものの、まだまだ少ないと言われています。堀井里子(ほりいさとこ)さんは、2013年から国際教養大学の教員として「移民・難民政策」「国境管理制度」をメインに知の探求を続ける研究者。6歳と4歳の子どもの子育て真っ只中でもある堀井さんが、研究と暮らしをどう両立させているのか、研究の根底にある想いはどんなものなのか、詳しく伺ってきました。
世界から見て気づいた「秋田の魅力と課題」が原動力
−まず初めに、堀井さんが研究者になろうと思ったきっかけを教えてください。
堀井 実は、研究職の道へ進もうと思ったことは一度もないんです。小さい時に、秋田県出身で元国連事務次長の明石康さんの存在を知って、「すごいなあ。私も国際社会で働きたいなあ」と世界を意識し始めました。「だったら英語を話せないといけないだろう」と考え、そこから進学先や留学先を決め、自分が興味のある分野を極めるには修士号が必要だったので、さらに進学をして…。そうやって道を選んでいるうちに、今の仕事へ行き着いたという感じです。
−堀井さんを突き動かした「自分の興味」とは何だったのでしょうか。
堀井 大学時代にメキシコへ1年留学した時に興味を持ったのが、「国境」でした。今もメインの研究テーマにしています。メキシコは貧困の差が激しく、隣国のアメリカへ不法移民する人のニュースが後を立ちません。卒業後にメキシコにある日本大使館で2年間事務職スタッフとして働いていた時にも、小さな子どもが街の中で昼夜問わず物を売ったり、チップをねだったりする姿が日常的にありました。しかし、国も環境も選べず生まれ、受けるべき教育や最低限保障されるべきこともない人たちが、生きやすさを求めて移動しようとしても「国境」でブロックされる。そんな仕組みに理不尽さを感じて、もっと学びたいと大使館を退職し、一橋大学、オックスフォード大学、サセックス大学で「国境」「出入国管理制度」について学びました。
−その後、国際教養大学へ赴任されたきっかけは?
堀井 一言で言うと、ホームシックが近いのかなあ。世の中にはいわゆる国際活躍人材はごまんといて、みんな世界を舞台に輝いているけれど、逆に私は、故郷の秋田を想うことが増えたんです。秋田を早く出たいと思って海外に飛び出したのに、秋田の魅力がどんどん分かってきて。
それに、秋田には秋田特有の社会課題があることも見えて、故郷の役に立ちたいという想いが募っていきました。そんな矢先、国際教養大学に教員の募集が出たんです。帰省した際に大学の図書館が好きでよく通っていて、こんなところで働けたらなと思っていたので縁を感じて応募。サセックス大学博士課程の途中から、大学教員として働き始めました。
自分の関心ごとを追求できる「研究者」という仕事
−堀井さんにとって、研究職の魅力とは何でしょう?
堀井 自分の裁量で決められる部分が多いことだと思います。自分自身で何を研究したいか決められて、関心を持ったテーマを追求できるのが面白いです。その過程でいろんな人に出会えることも魅力ですね。いつも人から刺激を受け、毎年違う学生が来るので、違う世代のフレッシュな考えも知れるんですよ。
−研究以外にも、さまざまな活動をしていらっしゃるんですよね。
堀井 秋田に今いる外国人の住み良い社会についてや、秋田県でビジネスを立ち上げた外国人のこともリサーチしています。国境を超えて移動することは「多様性」を広げていくことなので、外国人はもちろん、セクシャルマイノリティ、障害者など、生きづらさを抱える人たちをどう地域で迎えるかを考える場にも、声をかけられることが増えました。本来専門ではないんですが、「働く女性」「子育て」「母業」などについても新聞で連載をしています。研究テーマから派生して、「多様性」をキーワードとしたまちづくりに活動の領域が広がっていますね。
「研究者」であり、「大学教員」であり、「母」でもある
−研究職の大変なところは?
堀井 平日は授業、会議や学会は土日が多いので、自分でオン・オフをマネジメントできないと休むのが難しいという点です。全部完璧にやろうとはそもそも思ってないんですが、とはいえ大学教員としての学生への教育や組織の仕事もあるし、18時に子どものお迎えに行くのは外せない。その中で研究の時間を確保するとなると、どうしても夜間や休日を使うことになる。時間の確保は、子育て中の研究者だけでなくて、介護をしている方や、フリーランスの方だって、すごく大変だと思うんです。本当にみんな頑張っていますよね。私はどうしても時間が捻出できず、コロナ禍以前は、国内外への出張先に子どもを連れて行くこともありました。
−子どもを連れて仕事へ行った時の、周りの反応はどうでしたか?
堀井 優しく迎えてもらえました。海外へ子連れで出張した時も、「私たちもそうやって頑張ってるよ」という共感がまずあったんです。それに、子どもたち自身がたくさんの人に触れることで、「いろんな社会がある」ことを知ってもらえたらいいなとも思っています。他人よりできないことや、違うところがあったとしても、いろんな社会を見た経験があれば「自分はこれでいい」と思えるかもしれないなと。
−仕事と子育てのバランスを取るために、意識していることはありますか?
堀井 「仕事行ってくるね」と言ったときに、子どもに「行ってらっしゃい」と気持ちよく言ってもらえるようにすること、でしょうか。あとは、家族の支えですね。第二子出産後、6ヶ月目にフルタイム復帰したんですが、どうしても生活がまわらなくなって、実家に引っ越しました。今はチーム(=家族)で子育て中です。
−キャリアアップを経る中で、支えになった人はいますか?
堀井 ターニングポイントとなったのは、やっぱり夫との出会いです。それまでは、キャリアアップを目指して大使館勤務や大学院進学に挑戦し、「努力して成果を出さないと!」と上昇志向だったんですが、一方ですごく疲れてもいて。そんな時に出会ったイギリス人の夫は全然違うタイプで、「もっとゆっくり行こう。テイク・イット・イージーだよ」という人。成功か失敗か、白か黒しかなかった世界に色がついたように感じたことをよく覚えています。そこからは、自分に正直に、やりたいことを一つひとつやればそれでいいんだ、と考え方が変わりました。
生まれ故郷・秋田への想い
−秋田にUターンした今、思うことは?
堀井 15年ぶりに秋田に戻って感じたのは、秋田は自然が豊かで、子育て環境としてすごくいい場所だということです。大学にはいろんな国から来ている教員がいますが、秋田はゆっくり子どもと向き合えると言っている人が多いですね。
−逆に、秋田の課題について思うことはありますか?
堀井 秋田は在留外国人数が数年間ずっと47位です。つまり、選ばれていない。何が足りないのかいつも考えています。秋田の人はみんな優しいので、一度知り合うと壁がなくなりますが、最初は語学の壁もあって、仕事を見つけたりコミュニティをつくったりするのが難しい面もあります。そういった課題も含め、人権を尊重できる社会になるように貢献したいと思っています。そのためにも、まずは研究と教育活動をコツコツと頑張りたいです。
−最後に、秋田で頑張る女性たちにメッセージをお願いします!
堀井 枠にとらわれずに、はみ出すことを恐れずに生きてほしい。そして、女性は頑張り屋さんが多いので、よく水を飲み、よく寝て、身体を労ってほしいです。私は仕事柄徹夜する時もあるんですが、疲れていると子どもと喧嘩して、こっちが泣いてしまうこともあったりして…。子育て中は、仕事にもプライベートにも100%の力を使えず、どれも60%くらいでバランスをとっている感じがあります。周りに子育てしている人が少ないと、「自分だけごめんなさい」と申し訳なさでいっぱいになることだってある。そんなふうに頑張っている秋田の女性たちが、「自由に生きれる社会」になるようにこれからも貢献していきたいです。
華々しい経歴から勝手に想像していたいわゆる「バリキャリ」とは違って、とても穏やかなお人柄の堀井さん。子育てと仕事の両立に悩む姿を含め、等身大の姿を見せてくださいました。取材中、「フリーランスのライターさんも子育て大変ですよね。他の女性たちも、困っていませんか?」と他の人の悩みにも寄り添い、話を聞いてくれる場面も。より生きやすい社会をつくるため、堀井さんの今後の研究に期待です!
DATA
【国際教養大学 助教 堀井里子さん】
秋田市出身、在住。二児の母。
東北大学在学中に留学したメキシコで「国境」に関心を持つ。卒業後はメキシコの日本大使館で事務スタッフとして2年間勤務し、その後一橋大学、オックスフォード大学(イギリス)で修士号を取得。サセックス大学(イギリス)で博士課程を学んでいる最中、2013年に国際教養大学の教員として帰郷。その後、博士号を取得。2015年に第一子、2017年には第二子を出産。研究テーマは「移民・難民政策」「国境管理制度」。