今回は、鷹巣駅前に設計事務所を立ち上げ、コミュニティースペースを運営する建築家・柳原まどかさんの登場です。同じ建物内にはシェアオフィスやカフェ、レンタルスペースなどがあり、“町の開かれた設計事務所”としてユニークな活動を展開しています。
自分の良さを引き出してくれた恩師との出会い
— 今のお仕事を目指したきっかけを教えてください。
柳原さん 小さい頃から物作りが好きだったんです。絵を描いたり小物を作ったり、空き箱で部屋を作って間取りを考えたり。そんな中、中学生の頃にとんねるずのノリさんが建築家の住宅を巡る番組を見て、すごくしっくりきたんですね。それで「自分も作ることに特化したい」と思って、秋田工業高校建築科に進学したんです。
— その後、大学も建築学科に進学し、東京都内の設計事務所に就職されたそうですが、就職先はどのように決まったのですか?
柳原さん 就活がうまくいかず、大学で私を評価してくれていた先生にそのことを報告したら、「ちょうどプロジェクトを立ち上げるところだからうちに入らないか」と。
その先生の事務所ではデザインだけでなく、図面の引き方や工事の進め方、費用やスケジュールの監理、大工さんや施工主とのコミュニケーションなどを学びました。先輩が先生と言い合ったり、自由で面白い事務所でしたね(笑)
— 自分の良さを見つけてくれる先生との出会いは大きいですね。
柳原さん 先生曰く、建築家は“頑固で素直なことが大切”だと。いわゆる“芯は揺るがず、新しいものや意見は取り入れる”ということなのかなと思うのですが、私にもそういうところがあるとおっしゃってくださいました。
創造性が際立つ地を求め秋田へ移住
— 秋田に戻るきっかけとなったのは?
柳原さん 事務所が表参道にありましたので、通勤時に最先端のデザインを見られたり、欲しい物がすぐに買えたりできる環境だったんです。それに満足してしまって、気がつくと自分でデザインを生み出すモチベーションを失っていました。
そんな時に、群馬の地域おこしプロジェクトに関わりまして、地方の可能性に興味を持ったんです。そのプロジェクトの一環で大館のゼロダテ(※)を知り、「地方にいてもアートで町おこしができるんだ」ということが分かって。群馬の仕事と並行して、東京にあったゼロダテにも顔を出すようになりました。
都会だと情報や人があふれていて埋もれがちですが、地方だと人が少ない分、際立ちやすいように感じたんですよね。そういう仕事に自分も携わりたいなと。もう一度不自由な環境に身を置いて、怠けた頭をリフレッシュさせたいという思いで、自分のルーツである秋田で暮らそうと決意しました。
(※)ゼロダテ…大館出身クリエーターが2006年に立ち上げた、特定非営利活動法人アートNPO。
— その後ゼロダテで働くことになったそうですが、ゼロダテでは主にどのような活動をしていたのですか?
柳原さん 私が入った年の翌年に「国民文化祭」を控え、エリア担当になった北秋田市を隅々まで巡って情報収集などをしていたのですが、その中で地元の方々とのさまざまな出会いや、一線で活躍する芸術家の方々などとふれあえる楽しさがありました。
ゼロダテでは、イベント開催の手順や準備の仕方、展示してもらいたい人にどう交渉するか、などを学びました。もともとゼロダテで働く目的は“起業するためのネットワークづくり“だと伝えていたので、リノベーションのコンペなど建築系イベントを開催させてもらったこともありましたね。
設計事務所の開業とともにKITAKITAを引き継ぐことに
— そこから開業するに至った経緯は?
ゼロダテでは基本的に芸術家の方をサポートする役目だったので、だんだん自分が作れない苦しさが出てきたんです。それで、2014年度契約終了後に開業することを決めました。事務所の場所を鷹巣に決めたのは、作家さんに町めぐりをアテンドして北秋田市に詳しくなったこともありましたし、私の開業と同時期にゼロダテがKITAKITA(※)を撤退するという話になったので、名前を引き継いでこの地に残ることにしたんです。
(※)KITAKITA…ゼロダテが北秋田の拠点として開設したコミュニティースペース。
KITAKITAの場所は、ゼロダテでもお世話になっていた河哲商店さんの空きスペースに移転して、セルフリノベーションしました。家具はすべてゼロダテからのもらいもので、初期費用は約10万円でスタート。移住して起業しているので、まずはネットワークづくりを第一に考えつつ、シェアオフィスやカフェ、レンタルスペース、イベント開催などを運営しています。レンタルスペースは時間貸しもしていて、音楽イベントや講座、会議、交流会などで利用していただいてます。
河哲商店オーナーの河田さん(左から2人目)とシェアオフィス入居者の皆さん
その土地ならではの魅力を存分に生かしたプロジェクト
— 秋田で携わったプロジェクトで印象的だったものは?
柳原さん 開業して最初に依頼していただいた「森吉山麓ゲストハウス ORIYAMAKE」です。施主の織山さんが祖父から引き継いだ築65年の家を、マタギ文化やこの土地の暮らしを伝えるゲストハウスと住宅を併設してリノベーションしました。このプロジェクトが、北秋田市に残る大きなきっかけになったと思います。
この地域では1年のうち半年は雪囲いをしているのですが、外観は雪囲いがないものとして完成されていて、そうすると半年間雪囲いがある見た目になってしまうんですよね。ですのでこの時は雪囲いありきのデザインに挑戦してみました。
©Tokumasa Matsubuchi
それからこの辺はキツツキが出没するそうで、外壁につつかれてできた穴が開いていたので、それをデザインに落とし込んでみました。年月と共に穴が増えて、室内に少しずつ光が差し込むようになったら面白いかなと。織山さんもこの提案を面白がってくれたのでよかったです。
©Takuro Hasegawa
織山さんは、「近隣の方々に“新築ではなくリノベーションの良さ”を見せたい」とおっしゃっていました。まだこの辺りではあまりなじみのないリノベーションの面白さを、今回のORIYAMAKEのリノベーションを通して皆さんに知っていただけたらうれしいですね。
— 秋田内陸縦貫鉄道の改修事業も手がけられたそうですね。
柳原さん はじめは、新車両を造る計画の活動で使うデザイン画の依頼をいただいたんです。最終的に新車両ではなく既存のお座敷車両をリニューアルすることになり、私は内装とロゴデザインを担当しました。
©Takuro Hasegawa
©Takuro Hasegawa
沿線のマタギ文化をコンセプトに考え、現役のマタギに熊の皮をなめしてもらったり、沿線の自然素材を使って地元の木工職人さんにテーブルを作ってもらったりと、なるべく沿線の方々に関わってもらうようにしました。外装デザインは地元の中学生から公募したんですよ。
— 柳原さんご自身とKITAKITAのこれからのビジョンを教えてください。
柳原さん シェアオフィスの入居者も今年ようやく満室になり、入居者同士で一緒に仕事をしたり、お客さんを紹介し合ったりといい関係が築けているので、これからも仕事に結びつく場所としての空間作りをしていきたいです。地域の皆さんにも今まで通り気軽に立ち寄っていただきたいですし、その中でデザインの大切さが伝わる場になればと願っています。
もともとは協和町出身の柳原さん。鷹巣は「飲食店もたくさんあるし大型店もある。生活に困らないちょうどいい暮らしが心地いいです」と、その住みよさを教えてくれました。デザインを通して、秋田の新たな魅力をどんどん発掘して欲しいですね!
【柳原まどかさんプロフィール】
旧仙北郡協和町生まれ。東洋大学工学部建築学科卒。
幼少期は東日本各地を転校し、小学5年から高校までを秋田で過ごす。都内設計事務所で6年間勤務後、2013年に鷹巣へ移住し、アートプロジェクトゼロダテの北秋田事務局「community station KITAKITA」に配属。2015年コマド意匠設計室を開業するとともに、KITAKITAの運営を引き継ぐ。