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ずっと寄り添える存在でいたい。子どもの闘病を機に出会った山のすばらしさを伝える登山ガイド

登山ガイド 大川 美紀 さん

お子さんの闘病生活を支える中で山登りに出会い、今では全国各地から指名が集まる登山ガイドとなった大川美紀さん。彼女は、幼稚園生から80代までの幅広い層のお客さんから、“ミキティ”と呼ばれ親しまれています。山に救われたご自身が、今では山を通して登山客に生きる喜びを伝えています。

子どもの病気を機に働き方を見直すことに

— 登山ガイドになるきっかけに、お子さんの闘病が深く関わっていると伺いました。

大川 私は以前は旅行業で忙しく働いていたのですが、息子が小中学生の頃に病気で二度、入院・通院したことがありました。その時は働く時間を見直して時短勤務にしてもらい、子どもたちと一緒にいる時間を増やしました。

息子の病気が治ってからまた仕事復帰したのですが、今度は娘が小学3年で白血病を発症し、さらには脳梗塞を併発してしまったんです。

娘は骨の痛みや頭痛、そして辛い抗がん剤治療などから泣き叫ぶ毎日で、私は病院につきっきりでしたが、娘の死を覚悟したこともあります。そんな時、病院の窓から見える岩木山を眺めては、少しばかりの気持ちの切り替えをしていました。なんとか退院できた後も、抗がん剤治療で2年半通院しましたが、感染症や再発の不安と常に隣り合わせでしたね。

後遺症と付き合いながら自分を表現する道へ進んだ長女

— その後、娘さんの症状は安定していたのでしょうか?

大川 脳梗塞を発症後、赤ちゃん返りしたように言動が幼くなったり、集中力が全然続かなかったりと、まるで別人になったように感じることがあったんです。でも当初はモルヒネやステロイドの影響と言われて、障害に気づきませんでした。

その後、高校1年で過呼吸を起こすようになり、思うように生活できなくなったことと併せて受診したところ、脳梗塞が原因による高次脳機能障害だということが分かりました。

それまで、本人には「普通にしよう」「頑張ればできる」と言いながら、周囲にはその状況を隠していたのですが、障害と分かってからは「みんなと同じようにやろう」と言うことはやめました。

— さまざまな闘いや葛藤があったのですね…

大川 娘は白血病の発症から10年経って、今は「寛解(かんかい)」の状態です。娘の生命力に感謝するとともに、“今生きているのがラッキーなんだ”と思うようになりました。もう一日一日がありがたくて…。

入院していた頃、娘と一緒に闘病していたお子さんを何人も見送っていて、親御さんから「うちの子の分まで生きて」と言われたことも。ですので私も娘も、普通の人より一日の重みが違うと思います。

— 娘さんは今はどのように過ごされているのですか?

大川 娘は高校3年から「ちさと」という名義で作詞作曲やギターの弾き語りをしています。「見えない障害への理解度を高めたい。私から見た世界や想いを歌で表現して、障害がある方やご家族、介護している方に聴いて欲しい」と頑張っています。さまざまな症状を抱えながらも、“自分にしかできないことがある”と施設ライブなどで奮闘している姿を見ると、「こりゃ負けたな」と思っちゃいますね(笑)。


(今秋CDを発売予定のちさとさん)

親友に誘われて開眼した山の世界

— 看病していた当時の大川さんの心労は、とても計り知ることはできません。

大川 娘の退院後も私の心はとても荒んでいて…。よく“神様は乗り越えられる人に試練を与える”なんて言いますけど、私はダメ人間だからそんな試練いらない!と思っていたくらいで。“私の気持ちなんて誰も分からない”と心を閉ざしていました。

そんな時、私の親友が山登りに誘ってくれたんです。登山の経験はありましたが久しぶりだったので、迷惑をかけないようにと体力づくりや山登りの練習をしてから本番に臨みました。


(山に登り始めた頃、息子さんや娘さんとも登りました)

— 実際に鳳凰山に登ってみて、いかがでしたか?

大川 もうめちゃくちゃ楽しかったです!その頃は再発や感染症を心配して毎日気が休まらないし、“娘が死んだら私も死ねばいいんだ”と常にネガティブ思考でしたけど、登山をしている時はその不安がなくなって無になれたんです。余計なことは考えずに、足を一歩前に出せばいい。登っている最中は辛かったけど、山頂の開けた景色を見た時、“私にはこの時間が大切なんだ”と強く思いました。

娘が病気になってから、何も考えなくていい時間を過ごしたのが初めてだったんですよね。それが8年前のことです。それから娘の状態がいい時には週1回、山に登るようになりました。今では週4〜6回は山に入っていますね。主人と娘の協力がないとできないことですし、いつも感謝しています。


(去年1年の登山回数は60座を数えたそうですが、今年はすでにそれを上回るペースだそう)

多くの人に支えられて登山ガイドの資格を取得

— 登山ガイドはいつから始められたのですか?

大川 5年ほど前に地元の登山ガイドの方々から誘われて始めたのですが、その頃は資格を取れると思っていなかったんですよね。すごい技術や知識があるわけでもないし、お金もないし。すると、地元スキー場の支配人から「スキー場のレストランでアルバイトをして資金を貯めて、きちんと資格を取った方がいい」と声をかけていただいたんです。

— 資格取得のための勉強はどのように行ったのですか?

大川 今では私の師匠でもある、県内有資格者の伊東雅晴さんを支配人から紹介していただいて、山の歩き方から地図の読み方、ロープの結び方、ツェルトの張り方、救助方法などをあらゆることを教わりました。時間の合間を縫っては教えてもらい、60kgの人を背負う練習で師匠をおんぶしたりもしました。最初は本当に何もできなかったですし、特にロープの結び方を覚えるのが大変でしたね〜。

— 現在は主にどのような活動を?

大川 リピーターのお客さまやガイドの先輩たちから仕事をいただき、北東北の山をガイドしています。また今年の1月に、日本山岳ガイド協会認定ガイドとマタギガイドの総勢10名が所属する「森吉山ガイドクラブ」をみんなで立ち上げまして、地元を中心にガイド活動しています。興味のある方はぜひフェイスブックツイッターをチェックしてみてください!


(マタギガイドの鈴木英雄さんとは、よく一緒にガイドをする間柄。山のことをたくさん教わったそう)

成長する機会をもらえることに感謝して

— 登山ガイドのほかのお仕事は?

大川 弘前城のお花見や十二湖などのガイドもしています。私は昔から自分に自信がないので、先輩方に聞いたり本で調べたりしてまとめた勉強ノートは必須アイテムです。いつも不安だから、失敗する夢もよく見ますよ(笑)。


(場所ごとにまとめられた勉強ノート)

— 登山番組にもご出演されたそうですね。

大川 そうなんです。去年は八幡平エリア、3年前は森吉山エリアのテレビ取材を受けた時も、はじめは自信のなさから断ったのですが、やると決まってからは勉強し直しました。改めて文献で地域の歴史から調べ直したり、山の大先輩に話を聞きに行ったり。皆さん出し惜しみなく教えてくださるので、私は本当に人に恵まれているな〜と思います。

私は登山ガイドとしてはまだまだ駆け出しなので、こういう勉強できる機会をいただくと、“早く一人前になりなさい”と周りに背中を押してもらっているようで、気持ちが引き締まりますね。


(お客さんや撮影スタッフの皆さんなど、一度ご縁があると長いお付き合いになる方が多いとか)

私が登山ガイドとしてできること

— 登山ガイドとして、どんなことを心がけていますか?

大川 まず、気遣いをなるべく気づかれないことです。安全管理は重要ですが、それを前面に押し出すと楽しくないので加減が大事かなと思っています。それと、自分がしゃべりたいことを押しつけないこと。一つのやり方で万人受けするのは無理なので、お客さま一人一人の求めていることを敏感に察知できるよう努力しています。


(大川さんのフェイスブックでは、自ら撮影した高山植物や山々の景色を公開。「山登りのプランの参考にして欲しい」とのこと)

— 女性ガイドならではの良い点はどんなことですか?

大川 女性のお客さまの気持ちが分かることだと思います。例えば思春期の女の子だと、男性ガイドには言いづらいこともありますよね。中高年の女性はトイレが近いと水分を摂らなかったりするのですが、そうすると脱水になって足がつることも。ですので「トイレの心配はないから水分をたっぷり摂ってね」と声をかけています。

— 大川さんが感じる、登山ガイドのやりがいとは?

大川 初めて登山した人から「登山靴買っちゃった」という連絡をもらったりすると、“山の世界に入ってくれたな”って感激するんです。「これから生きていく上でミキティに出会えてよかった」とお客さんから言われたこともあるのですが、そんな風に登山や私がきっかけで新しい価値観が生まれたり、登ることや山そのものを好きになってくれたら、こんなうれしいことはないです。特別すごい知識や技術がある訳じゃないですけど、ずっと寄り添えるガイドでいたいですね。

「あと15年はガイドをしたいので、まずは自分が健康でいたいです!」と底抜けの笑顔で話す大川さんからは、壮絶な過去は微塵も感じられません。でも包み隠さず「子どもの病気が全部今につながっているし、日々がんばろうと思えるのは子ども達のおかげですね」と、ご自身の核となる部分を教えてくれました。全国にミキティファンが増えるのも納得のステキな女性でした!

撮影協力:ふみきり野Cafe

【大川美紀さんプロフィール】
大館市(旧田代町)出身・在住。旅行業で営業や添乗を経験したのち、「日本山岳ガイド協会」認定登山ガイド(ステージⅠ)を取得。現在では多い時で週4〜6日は山に入り、月に1〜2本は講演活動も行う。「北東北山岳ガイド協会」「森吉山ガイドクラブ」所属。26歳長男と19歳長女、2人の孫を持つ。
大川美紀Facebook
森吉山ガイドクラブFacebookページ
森吉山ガイドクラブTwitter

 

キーワード

秋田県内エリア

Writer

熊谷 清香

熊谷 清香

地元タウン誌や広告代理店勤務を経て、フリーランスで企画・編集・取材・インタビュー・ライティング等をしています。中高生の母。秋田市出身。

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