3人の男の子を育てながら、10年近く味噌汁の良さを伝える活動を続けてきたみそソムリエの小山明子さん。さらに、2021年には大館市にコミュニティFM「ラジオおおだて」を開設しました。一見、無関係のような味噌とラジオですが、「防災」というキーワードで結びついているのだそう。小山さんが思い描く大館市の未来について、お話を伺いました。
母親として子どもに伝えたいこと
ー味噌汁の活動を始めたきっかけについて、教えてください。
小山 2011年の東日本大震災を機に、子育てについて真剣に考え始めました。一生懸命積み重ねてきたものが、自然災害で全て破壊されてしまう。子どもの未来に、再びこうした災害が起こり得ることを実感し、親として何を身につけさせてあげたらいいんだろうと考えたんです。必要なのは学歴でも大企業に勤めることでもなく、内側から湧き出てくる「生きたい」という気持ちなのではないかと。そのために、心身の健康、そして生きるために必要な食べ物が大事だと考えました。
小山 「食ってなんだろう?」ということを自分なりに突き詰めていったら、ご飯と味噌汁に辿りつきました。寝坊して朝食抜きで出かけようとする子どもに、お母さんが「味噌汁だけでも飲んでいきなさい!」と言ったりしますよね。日本人にとって、味噌は「コレさえ食べれば生きていける、ありがたいもの」として、昔から兵糧や保存食、災害時の食料として重宝されてきました。
日本の食文化としての味噌
ー味噌は、いつ頃から日本の食卓にあったのでしょうか?
小山 味噌の原型は、その昔、大陸から伝わった「醬(ひしお)」だと言われています。穀物などを塩漬けして腐らないようにしたもので、現在の味噌とは見た目も違う、とても硬いものだったようです。体に良いため、平安時代には高級官僚の給料として扱われるほど貴重なものでした。鎌倉時代や室町時代になると、硬い粒みそのようなものをすり鉢ですりおろして水やお湯に溶いて味噌汁として食すようになり、少しずつ庶民に広がりました。
小山 日本は、地震や洪水、疫病や飢餓などの災害とともに発展してきた国ですが、災害時に救援物資として復興に関わってきたのが味噌でした。チェルノブイリの原発事故の時には、日本からウクライナへ救援物資として味噌を送っています。長い間、日本人の暮らしに寄り添ってきた味噌は、美容に良いとか子どもの成長に良いといった栄養面の長所はもちろんなのですが、それ以上に「味噌さえ食べていれば生きていける」という精神面からも、災害からの復興を支えてきたのです。
日常から災害まで、全てを包み込む味噌の力を伝える
ー味噌の良さを伝える活動が「一杯の味噌汁プロジェクト」なのですね。
小山 はい。味噌の歴史や、日本の食文化としての味噌を広く伝えるために、2012年に「一杯の味噌汁プロジェクト」を立ち上げました。生活様式が変化して味噌汁が食卓に並ばない家庭も増えてきましたが、発酵や醸造といった日本ならではの食文化は今、海外からも注目されています。日本の素晴らしい食文化を知っている子どもを増やしたいという思いで、県内外の幼稚園や小学校での味噌づくり教室、お母さんたちへの味噌汁教室を開催してきました。また、雑誌などに味噌料理のレシピも寄稿しています。
防災拠点としてのコミュニティFM
ー味噌に関する活動を続けてきた小山さんがラジオ局を開設したきっかけは、何だったのでしょうか?
小山 新型コロナウイルスの影響で小学校や幼稚園での活動ができなくなり、味噌のことを伝えられない状態になった時に、「防災や災害時の備えとしてのコミュニティFM」という考えを持つ方との出会いがありました。新型コロナウイルスの流行も、言ってみれば災害の一種です。そんな中でも電波を通じてなら、味噌や防災食のことを地域の皆さんに伝えられることに気づきました。さらに、インターネット配信で全国の人に発信することもできます。
小山 地域にラジオがあれば、災害時にいち早く状況を伝えることができ、災害からの立ち上がりの動機付けや復興の意欲を高めるお手伝いができます。情報をラジオで共有することで、スピード感のある復興ができる地域づくりをしていけるのではないかと考えました。コロナ禍で講座などの活動ができない時間をラジオ局開設の準備に充てて、2021年1月17日から放送をスタートしました。
地域の人たちが多様な花を咲かせる場
ーコミュニティFMの魅力はどんなところですか。
小山 地域の人たちが出演し、関わっていくことでたくさんの刺激や変化が生まれるところです。皆さんがそれぞれに持っている「花の種」が、関わり合いによってどんどん変化して、新しい花が咲いたり、ときには予期しないような花が咲いたりするのが、とても楽しいです。「大館にこんな人がいたんだ」「この人はこういう知識や考えを持っているんだな」と新しい気づきがたくさんあり、それが地域の身近な人であるところが、コミュニティFMならではの魅力だと思います。
ーラジオ放送を始めて、良かったと思うことはありますか?
小山 開局してから365日24時間、放送を続けているのですが、今、番組作りに関わっている人が55人ほどいるんです。この55人の皆さんがそれぞれ自発的に「こんなことを発信したい」という挑戦とオリジナリティで番組を作っています。そのことを心からすごいなと思いますし、皆さんが作り出す素敵な番組と出会える私はこの上なく幸せだと感じています。一方で、「もっと大館が一体化している姿を見たい」という思いが依然としてあります。「理想が高すぎる」ってよく言われるんですけどね(笑)
ラジオを活用して未来の大館の土壌づくりを
ー小山さんが思い描く、もっと一体化している姿とはどんな未来なのでしょうか?
小山 とても抽象的なことになってしまうんですけど…。「あの人だばや〜」と人を批判したり比べたり、地域や人に対して不満を言うのではなく、大変なことがある中でも「あ〜今、私は幸せだな」「自分、素敵だな」と思える人がたくさんいる街になったらいいなと思うんです。そういう街には幸せな人が生まれるし、そういう人がいる街だから幸せになる、どちらが先か分からないですけどね。
小山 味噌は災害時の助けになるとはいえ、普段の生活で味噌がなくても生きていくことはできます。同じように、ラジオがなくても地域は回っていきます。でも、いざという時「味噌さえあれば生きていける」ように、災害時にラジオがあれば復興のスピードを加速することができると思うんです。ラジオの持つ可能性は大きいですが、まだまだ道の途中です。今できることを精一杯やっていった先に、未来の大館が子どもたちが笑っている街になったらいいなと思っています。
「ラジオ局の運営は本当に大変で、例えるなら、毎日三千本の針に糸を通し続けるような日々」と小山さんは言います。料理をする暇もないほど不規則な生活が続く中で、「具沢山の味噌汁を作れば気持ちもお腹も落ち着きます。災害級の大変な日々が、味噌に救われているんですよ」と笑う小山さん。小山さんが思い描く「子どもたちが笑っている未来」は、きっと皆が心から願う地域の姿に違いありません。